頭文字M 第六話 「IROHA坂の誘惑 ― Sugar Less vs. タートルマウンテン」
Tsukuba山の夜空を切り裂いた、あの赤色灯のワルツ。
Sugar Less(武藤)と桜木 コーネリアス 楓は
警察の追跡を振り切り、闇の中に消えた。
あの夜以来、Sugar Lessは再びS2000のステアリングを握り、
楓はナビゲーターとして彼の隣に座る。
日本の警察の目を掻い潜りながら、二人は関東一円の峠を渡り歩いていた。
Sugar Lessのドライビングは、一度失った空白期間を埋めるかのように、
日増しに切れ味を増していた。
そして楓のナビゲーションは、彼の走りをさらに高みへと導いていた。
「次に行くのは、日光IROHA坂よ、Sugar Less。」
楓が地図を指差しながら、Sugar Lessに告げた。
日光IROHA坂。
その名は、彼らの間では一種のタブーのようなものだった。
2000年の歴史を持つその峠は、48ものカーブが連続する超難関コース。
そしてそこには「タートルマウンテン」と呼ばれる、伝説的な走り屋が棲みついているという噂があった。
彼の駆るマシンは軽量なスバル・ヴィヴィオRX-R、それもアプライドB型。
その名の通り、まるで亀のように粘り強く、
しかし亀にしては驚くべき速さで日光IROHA坂を駆け抜けるという。
「タートルマウンテンか…楓、あの男は厄介だぞ。
彼のヴィヴィオは、あのIROHA坂に特化しすぎている。」
Sugar Lessは懸念を口にした。
タートルマウンテンのヴィヴィオRX-R、アプライドB型は、
わずか700kg台の車重に、スーパーチャージャーを搭載したEN07型エンジン。
足元には渋い輝きを放つRSワタナベのホイール、徹底的に煮詰められた車高調、
直管マフラーから放たれる獣の咆哮。
室内にはフルバケットシートが鎮座し、ドライバーを完全にホールドする。
そして恐ろしいのは、プーリー径変更によるブーストUPとリミッターカットが施され、
本来のヴィヴィオRX-Rの性能を遥かに超える力を秘めていることだった。
彼の最大の武器は、その超軽量なヴィヴィオの車体と、
ドライバーである彼自身の軽さ(体重48kg)。
まさに「軽量×軽量」の究極形だ。
徹底的な軽量化と足回りのチューニングにより、IROHA坂のどんなタイトなコーナーも、
まるでレールの上を走るかのようにクリアするという。
「だからこそよ、瞬。彼の走りを、間近で見たい。
そして…超えてほしい。」
楓の瞳は、挑戦を前にした獣のように輝いていた。
彼女の言葉は、Sugar Lessの心に再び火をつけた。
Sugar Lessはもう、何も言えなかった。
楓の信頼は彼の想像を遥かに超えるほど強固なものになっていたのだ。
その夜、二人は日光IROHA坂に到着した。
すでに多くのギャラリーが集まり、その熱気は尋常ではなかった。
彼らの目当てはもちろん「Sugar Less」と「タートルマウンテン」の対決。
噂は、彼らの足よりも速く広がっていたのだ。
「来たぜ、タートルマウンテン!」
ギャラリーの中から、一際大きな声が聞こえる。
その視線の先にいたのは、夜に紛れるよう全身黒一色に塗装されたヴィヴィオRX-R。
その異様な姿は、まさに「タートルマウンテン」の異名に相応しかった。
ヴィヴィオのドライバーは、26歳。
短く刈り込んだ髪に、細身の体躯(たった48kg)。
その体重もIROHA坂のコーナー数(48個)に合わせて調整していると聞く。
なんという地元愛か。
その鋭い目つきは一見するとメンヘラ地雷女子のようにも見えるが、
その奥には底知れぬ自信と、何より「トツィギ県」への揺るぎない愛が宿っているのが見て取れた。
まさに地方のドン・キホーテに集まるマイルドヤンキー的な存在。
「IROHA坂へようこそ。Sugar Less。お前の走りは噂に聞いている。
だがこのIROHA坂で俺を越えることはできねぇ。ここは、俺の庭だ!」
タートルマウンテンは静かに、しかし威圧的な声で語りかけた。
その眼差しは、Sugar Lessの闘志をさらに煽る。
「それは、走ってみないと分からないぜ。」
Sugar Lessは冷静に返した。
そしてSugar LessはS2000のステアリングを握り、楓は助手席に座る。
エンジンを始動させると、あの頃と変わらない、心地よい咆哮が夜のIROHA坂に響き渡る。
今回のバトルは、頂上から下るダウンヒルバトル方式。
スタート地点はIROHA坂の頂上にある小さなガソリンスタンド。
ゴールは48のカーブを駆け抜け、3個目の橋を渡り終えた地点だ。
スタートラインに並んだS2000とヴィヴィオRX-R。
緊張が走る中、ギャラリーのカウントダウンが始まる。
「3…2…1…Go!」
タイヤが路面を掻きむしり、S2000はロケットのように飛び出した。
Sugar Lessはアクセルを床まで踏み込み、S2000のポテンシャルを最大限に引き出す。
しかし、ヴィヴィオも負けてはいない。
軽量な車体を活かし、S2000のすぐ後ろにピッタリと張り付いてくる。
「くそっ…速え…!」
Sugar Lessは思わず呟いた。
タートルマウンテンのドライビングは、ヴィヴィオのポテンシャルを最大限に引き出していた。
IROHA坂特有のタイトなコーナーを、まるで手足のように操る。
しかも軽量×軽量という彼の武器は、下りの重力と相まって恐ろしいほどの加速を生み出している。
Sugar LessはS2000のパワーを活かし、直線でヴィヴィオとの距離を広げようとする。
しかしヴィヴィオはコーナーでその差を詰め、すぐにS2000のテールに張り付いてくる。
「Sugar Less!次のコーナーはアウトから入って! ヴィヴィオはインベタで来る!」
楓が冷静に指示を出す。
Sugar Lessは楓の指示を冷静に聞き入れ、S2000のラインを微調整する。
しかしタートルマウンテンは、S2000のわずかな隙間を見つけてはインを刺してくる。
その度に、S2000のタイヤは悲鳴を上げる。
「あの野郎…本当にしつこいな!」
Sugar Lessは焦りを感じ始めた。
こんなにも粘り強い相手はこれまでいなかった。
楓もまたSugar Lessの焦りを感じ取っているのが伝わってくる。
中盤セクション。
いろは坂の最大の難所である連続ヘアピンカーブに差し掛かる。
ここではヴィヴィオの軽量な車体が圧倒的なアドバンテージとなる。
「Sugar Less、この先はヴィヴィオの独壇場よ! 気をつけて!」
楓の警告通り、ヴィヴィオはヘアピンカーブでS2000のインを狙ってくる。
Sugar Lessは必死にブロックしようとするが、ヴィヴィオの強引なライン取りに、
S2000のボディがわずかに接触する。
「しまった…!」
S2000の車体が大きく横滑りする。
Sugar Lessは咄嗟にカウンターを当て、体制を立て直すが、
その隙にヴィヴィオはS2000の前に出る。
「くそっ…やられたか…!」
Sugar Lessは悔しさに歯噛みした。
タートルマウンテンはS2000を抜き去ると、さらにそのペースを上げていく。
しかしSugar Lessは諦めていなかった。
彼の瞳には、まだ諦めの色は見えない。
「まだだ、楓! まだ終わってない!」
Sugar LessはS2000のアクセルをさらに深く踏み込んだ。
S2000のエンジンが再び咆哮を上げ、ヴィヴィオのテールを追う。
最終セクション。
ゴールまで残りのカーブはわずか。
3個目の橋が目前に迫る。
「ここよ、Sugar Less! 全開よ!」
楓が叫んだ。
Sugar Lessは楓の言葉に応えるように、S2000のギアをトップに叩き込む。
S2000は怒涛の加速でヴィヴィオとの距離を詰めていく。
「くっ…速い…!」
タートルマウンテンも、S2000の猛追に焦りを感じていた。
彼はヴィヴィオの限界を超えたドライビングでS2000の追撃を振り切ろうとする。
ゴールまで残り数十メートル。
S2000とヴィヴィオは、サイドバイサイドで並び立つ。
まさにデッドヒート。
二人の心臓の鼓動は、最高潮に達していた。
「行けえええええええええええええええええ!」
Sugar Lessの叫びが、夜のいろは坂にこだまする。
S2000はヴィヴィオをわずかに抜き去り、3個目の橋のゴールラインを駆け抜けた。
「勝った…勝ったぞ、楓!」
Sugar Lessは歓喜に震えながら、ハンドルを握りしめた。
楓もまた、彼の隣で安堵の息を漏らしていた。
が、、、その一瞬。
「やったわね…Sugar Less…、、、ウプッ!」
レースを終えたS2000とヴィヴィオが、クールダウンのためにゆっくりと走行する。
その直後だった。
楓が突然、呻き声を上げた。
Sugar Lessが驚いて楓の方を見ると、彼女は顔を青ざめさせ
バトル直前に食した『すき家の三色チーズ牛丼の特盛りに温玉付き』を盛大にリバースした。
激しいダウンヒルバトルと、Sugar Lessの極限のドライビングに、楓の体が耐えきれなかったのだ。
「楓! 大丈夫か!?」
Sugar Lessは慌ててS2000を路肩に停め、楓の背中をさする。
S2000の車内はかつてないほどのチー牛の異臭と吐しゃ物にまみれていた。
そんな様子を横目にタートルマウンテンは、ヴィヴィオの窓を開けSugar Lessに親指を立ててみせた。
その鋭い目つきに、悔しさよりも潔さが宿っていた。
「見事だ、Sugar Less。お前は、本当に強い。」
タートルマウンテンの言葉にSugar Lessは笑顔で応えた。
互いの健闘を称え合う二人。
その姿は、ライバルでありながら、互いを認め合う真の走り屋の姿だった。
しかし、安堵したのも束の間だった。
彼らの背後から、再びあの赤と青のストロボが迫ってくる。
警察の執拗な追跡は、まだ終わっていなかったのだ。
Sugar Lessと楓は顔を見合わせ、小さく頷いた。
「さあ、瞬。もう一度、自由への暴走よ!」
楓がSugar Lessの肩を叩く。
Sugar LessはS2000のアクセルを踏み込む。
エンジンが咆哮を上げ、S2000は再び夜の闇へと溶け込んでいく。
彼ら「Sugar Less」の伝説は、このIROHA坂で
新たなページを刻んだばかりだった。
自由を追い求める彼らの旅は、まだ続く。
※この物語はフィクションであり、登場する人物・団体等は実在のものといっさい関係ありません。
またここに描かれる走行シーンを真似することはしないでください。
車を運転する際は交通ルールを守り、安全運転を心がけてください。